僕が勉強ができるようになった理由【自己紹介に代えて】

教室

もともと優秀だったんでしょ!?

講師をしているとよくこんな風に言われます。

「先生はもともと勉強ができたんでしょ!?」

決して初めから勉強ができたわけではありません。

とはいえ、現在も何か世界的な発明をするような天才的な頭脳が開花しているわけでもありません。

ごくごく平凡な頭脳ですが、しかし、多くの生徒や、先生や講師といわれる人間よりも、頭の使い方というか、考え方や価値観には、それなりのものだと思っています。

大学生でも成り立ってしまうような塾講師というですが、その辺のポッと出の先生よりは、子ども達に価値ある情報を提供できると自負しています。

そんな人間の話でよろしければ、ぜひお読みください。

僕自身勉強というか、学校のテストや成績に関して、ブレイクスルーしたのは中学2年生の時。

「高校進学」という明確に進路を意識し、そのためには内申点(成績)が必要になるということを知ったことで、きちんと成績を取るという姿勢(覚悟のようなもの)ができました。

というのも、中2の1学期の成績で「2」をとったのです。

それまで、人に自慢できるほど素晴らしい成績ではありませんでしたが、それほど悪い成績でもありませんでした。ごくごく普通の数字。

あまり成績の数字などにこだわりはなかったのですが、それでもこの「2」というのは見た瞬間にショックを受けました!

ヤバイ!

高校行けなくなる!?

多くの人が学習する理由なんてそんなものではないでしょうか。

はじめから、何か学問的な探求心の延長で学校の教科の学習が進められたという素敵な経験は多くの人にはないかもしれません。

学習の工夫ができる=能動的・主体的な学習の第一歩

僕は、たいへん飽きっぽいのですが、いろんなことをやりたがりなので、じっくり時間を忘れて1日中勉強に没頭なんてことは無理なわけです。それがテスト中だろうが入試前だろうが、やっぱり普段の生活を崩したくないですし、自分の好きなこと、気楽なことを少しでもやれないと気がすまない。おまけに、何かやるべきことを進める際に、あらかじめ行動計画などを立てる時も、「休憩」に時間と内容から決めるというほど、「自分の好きなこと・やりたいことを最優先」というポリシーを掲げてやってきました。

大学の入試の直前までアルバイトをやっていたほどです。

だから、必要に迫られてやり始めた勉強ですが、結果を出しながら、しかし、より短時間で効率良く進める方法などの工夫をしてきました。

今思えば、そうした工夫をするという姿勢そのものがすでに学習に対して主体的になっているわけですから、結果が出やすくなるのはある種当然のことなのですね。

学校や先生はそれほど好きだったわけではありませんが、意識が変わり、学習を短時間で、しかも結果が出るようにする工夫が出来始めると、テストで点を取ったり、学校の成績で良い評価をもらうのは、それほど大変なことではなくなってきます。

中学校2年生の2学期で一気に成績が上がり、ほぼそのままをキープして高校入試に臨みました。

※中学・高校時代の僕の成績を公開しています。ご覧になりたい方は↓こちら↓のページへ

中高時代の成績公開―僕が講師をやっている理由【学習観・教育観】

自分の覚悟と大人の後押しで子どもは一気に飛躍する!

僕が高校入試を受けた当時はまだ学区というものがあり、自分の住んでいる地域の学校に進学するのが一般的でしたが、それでも他の学区の高校を受験することもできました。

自分の学区内の高校に進学するのが嫌だったので、僕は学区外受験を決意します。

学区外受験では、募集定員の8%という枠があり、実際の人数は300人募集の内のだいたい24~5人、というところ。

かなりな競争になる受験の仕方です。

ちなみに僕が受験した学校の学区外枠の倍率はたしか7.75倍だったと思います。

最近の高校入試の平均倍率が1.2倍程度ですから、その競争率の高さはお分かり頂けるでしょう。

非常にたいへんな戦いで、不合格になる確率の方が高いと言ってもいい選択でした。

当然、学校の先生には止められましたし、本番の学力検査で全教科48点平均(当時は1教科50点満点)とらないと落ちるとさえ言われました。

ですが、僕にとってその状況は自分の行動を変えるための根拠にはなりませんでした。

やるべきことが分かっていて、平均48点が合格ラインであれば、そこに持っていく行動をとるだけです。

それまでに勉強のやり方は何となくつかんでおり、学校のテストや模試などでも成果が確認できていたので、やってやれないことはないと思い、倍率を見たときも志願変更をしようなどとは微塵も思いませんでした。

そうまで強気に入試に向かえた理由は、まずは自分が勉強を通じて、何かを覚える時に自分はどんな方法が良いのか、どんな内容が覚えやすいのか(好き嫌い、得意不得意)などのことを学習内容の記憶と同時気付いていったことが挙げられます。

つまり、こうしていけば何かがつかめる、テストで結果が出るという感覚を自分が分かり始めていたということです。

高校入試当時はそんなに明確なものではなく、実際には大学入試の際にはっきりと意識できたのですが…。

さらに重要なことがもうひとつ。

僕の親は勉強について、例えば「勉強しなさい」などのことばを僕に発したことがないのです。

飛びぬけて成績が良くなくても、テストで100点とっても、クラスで一番の成績をとっても、勉強について「ああしろ」「こうしろ」などと言うことはありませんでした。

もちろん、完全に放置されていたわけではなく、何か課題をきちんと取り組んでいるとか、何の理由もないのにやらないなどの不誠実な態度をとらなければ、ということが前提となっていたということです。

その意味では習い事などの家庭での練習やお稽古の時間をサボると叱られていましたし、行儀や態度、あいさつなど生活習慣という部分での指導は周囲の友だちなどと比べても厳しかったと思います。

(小さい頃はよく外に締め出された近所のおばちゃんに助けてもらっていました 笑)

というか、周りの友人たちが宿題をやらない、テストの点が悪い、成績が上がらない、などの理由で日々「勉強しなさい」とか「宿題やったの」と口うるさくおこごとを言われているのや、そのためにゲームなど好きなものを取り上げられているということを聞いて、そんな面倒なことになるのは勘弁だという思いが強かったのだと思います。

学校の勉強が好きだったかと言われればはっきり嫌いだったと言えるのですが、でも勉強の必要性はどこかで分かっていたのだと思います。

だから、どうせやらばければいけないなら、どうにかして最小の力でオトナに文句を言われない程度の結果を出そうという意識が無意識のうちに生まれていったのかもしれません。

そして、親について言うとすれば、こちらの方が重要かもしれないですね。

高校進学の際には、すでに述べたように、かなり厳しい戦いを選択したのですが、その選択ができたのはやはり親のおかげです。

「私立高校に進学することになってもチャレンジして良い」と言ってくれたので、何の迷いもなく受験勉強を進められました。

もちろん私立への進学という場合は経済的な理由が関わってくるので何ともいえませんが、とはいえ、子どもの挑戦にたいして親がドンと構え、後押ししてくれる、とか、背中をボンと押してくれると、子どもはちょっと強くなって戦いにいけるのです。もちろん親や家族というのは帰る場所ですから、そこがしっかりと安心できる状態ですと、少し高めの壁であっても子ども達はチャレンジすることができるのです。

これらについては、すでに保育などの分野でも研究されていることですが、子どもが安心感を持っていると、つまり、帰る場所、見守ってくれている存在が確かになっていると、子どもは様々なことにチャレンジしていけるのです。

僕の場合はそうした環境が整っていたのでしょうか。

実際には、家庭の事情で親と離れて暮らしたり、共有する時間が少なかったりした時期もありました。

ですが、それまでに、そうなってからも、きちんと向き合っていてくれている感覚があったのでしょう。だから、僕は自分で自分のことを考え、何かを決断していくということが自然とできたのかもしれません。

講師になって、様々な生徒さんを見てきた中で、当然それぞれの家庭の事情にも触れてきました。

共働き、シングルマザー、シングルファザー、ここでは書けないような特殊な事情を抱えた子ども、ご家庭と出会ってきました。

そうした家庭環境や親の事情は子ども学習面、その根本となる生活習慣や思考習慣に大きく影響します。

しかし、それは忙しくて親子が共有する時間が少ないからネガティブなことがあるとか、そんな短絡的なことではありません。

それぞれの家庭、親子の状況に合わせて、コミュニケーションの取り方を変えれば良いだけの話です。

実際に、シングルマザーの方でも、シングルファザーの方でも、すれ違いや時間の共有が難しい状況でも、何か工夫をされてコミュニケーションを取っている家庭のお子さんは、ごく普通の家庭のお子さんよりも、自立心が高く、精神的な成熟度が高く、生活面でも学習面でも良い状態であることが多々あります。

やる気スイッチはあるの?誰かに押してもらえるもの?

某大手個別指導塾のCMで聞いたことがある人も多いことでしょう。

生徒も、時に大人でも「誰かやる気スイッチ入れてくれないかな!?」なんて発言をよく聞きします。

学習にしろ何にしろ「やる気」があるところに成果が現われるのは自然の摂理といってもよいようなある意味当然のことです。

しかし、この「やる気」スイッチって何なのでしょうか。

誰かに押してもらうものなのでしょうか。

何か行動を起こすとき、それを支える心の作用を、心理学では「動機づけ」などを呼びます。

「動機づけ」には、「外発的」と「内発的」という2種類があります。

「外発的動機づけ」というのは、わかりやすくいえば、アメとムチですかね。

「勉強しなさい」とか「宿題やらないと○○なしね」とか言った発言をきっかけに勉強をする…

などといったことは、外発的動機づけをされた行動ということができます。

「テストで○○点取れたらこれ買ってあげる」なども同じですね。

よく聞くのが、先生や親に怒られるのが怖くて、だから言われる前に自分から進んで勉強を一生懸命やった、という類の話。

「自分から進んでやっている」という点だけみれば、一見とても立派なことだと思えるでしょう。

もちろんきっかけはそういったことでもありなのかもしれません。

僕自身も大人にごちゃごちゃ言われたり、されたりするのが面倒だから、という動機づけがありました。

ただし、これって裏を返せば「誰も怒る人がいなければやらない」ということなわけです。

この考えのまま大人になったらどうでしょう。

すぐに思いつくのは大学生が勉強をしなくなること、などは、これらのことが原因のひとつになっているかもしれませんね。

さらに、社会人になって言われてことはやるけど、自分から進んで何かことを起こさない、とかいうのはどうでしょうか?

なかなか頂けない人になってしまいますよね!?

つまり、きっかけとしては誰かにスイッチを押してもらう、それがアメのように優しいものであっても、ムチのように厳しいものであっても、要は「誰か」に押してもらったスイッチは、常に誰かに押してもらわなければならなくなるのです。

だから、僕らが目指すべきもの、子ども達に目指してもらいたいのは、やはり「内発的動機づけ」なわけです。

こちらは自らで自分の行動を制したり、律したりすることができます。

自分の行動自体に価値を見出したり、その行動を起こし、その結果を受ける自分自身か、その変化そのものに価値を見出しているからです。

東大に通う学生の親は、意外と成績の良し悪しに無頓着で結果に対してはあっさりと「よかったね」「頑張った結果だね」などと結果に対しての評価をしていることが多いらしい。

以前、読んだ雑誌の特集でやっていました(参考元がどれか忘れてしまいました m(__)m )。

これはまさしく自分で自分の行動を評価をし、それが次の行動への動機づけとなっている好例といえるでしょう。

こうした積み重ねは、何かことを起こす際に、例えば「これが出来たら自分スゴイじゃん」とか「これ成功した気持ちいいだろうな」などと行動自体や良い結果を得る自分をポジティブにイメージし、行動へと導くモチベーションを生み出すことになる。

こういう人は、きっと社会に出て企業に就職しても、「こんな仕事してみたい」「自分はこんなことが(貢献)できる」「これが出来たらヤバイな」などと主体的に働くことができるのでしょう。

そんな人材こそ企業は求めています。

特殊な専門職にならずとも、ふつうのサラリーマンになろうと思っている人だって、こうしたマインドはもう不可欠です。

単に言われたことしかできないとか、言われたことでも微妙な結果になったり、仕事が遅かったり、愚痴やネガティブなことばかりが出てきて手の進みが遅い人間。

自分が社長とか上司だったとして、そんな人間に仕事を任せたいと思いますか?

こういうメンタル面は一朝一夕でどうこうなるものではない。

もちろん、劇的な出会いとかによって一瞬で変わることもあるでしょう。

講演会やセミナーなど勉強会に参加すると、「よしこうしよう!」と決意したことも、次の日になれば、また日常に戻ってしまう、なんてことはよくある話です。

これは子どもの授業でも頻繁に起こり得ることです。

授業中には、直接先生の話を聞いた直後は気持ちが高まり「よしやろう!」と思っても、一歩教室から出て帰宅すれば、また元通りの日常なのです。

だから、自分で自分を制し、律することが最終的には何よりも大切になりますし、それは大人になり社会に出ても変わらず重要なことです。

そうした言動を支えるのが「内発的動機づけ」というわけなんです。

人がきっかけになって行動が起こっても一向に構わないのですが、それだけ、そのままでは、危険だということもぜひ認識しておいてほしいことです。

勉強が出来るようになる理由 まとめ

①もともと優秀かどうかなんて関係ない

②自分で工夫ができるようになるかどうかが大事(主体的行動)

③親の愛情(後押し)と本人の覚悟

④自分で押すやる気スイッチ(内発的動機づけ)

「並」な僕が県内有数の進学校に入学し、その後大学、大学院と有意味が学習を積み重ねられて来た理由はこのような条件があったのだと、今の時点から振り返れば理屈付けできます。

今まさに生徒、学生の人にとっては、そんな冷静に自分を分析して、ひとつひとつの行動を取ることは難しいかもしれません。

だからこそ、先生や講師という存在がいるのです。

その前に親という一番身近な大人というか先輩がいるわけです。

その大人たちの言うことに耳を傾け、これはというものは素直に取り入れて、実践してみよう。

大人たちの経験というのは、特に勉強にまつわることは、同じように通った道です。

だから、それなりに一理あるということもあるでしょう。

一度「じゃあ分かった。その通りにやってあげようじゃないか」となることも時に必要です。

そういう素直さというのもまた何か行動の成果を得るためには重要な要素かも知れませんね。

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