脱受験勉強のススメ

受験勉強・教科学習・テストのための学習がはたして勉強なのか?

多くの人は、勉強と聞くと、学校の勉強を思い浮かべるだろう。

国語や算数・数学、英語などの教科の学習のことを思い浮かべるだろう。

しかも、そこでは「テスト」によって「成績」がつけられることがほとんど当たり前だ。

さらには、何年かすると、上位の学校の進学するための「入試」があることもおそらく常識の範囲に入ることだろう。

だから、多くの人は、勉強というとそれらのイメージが強いのだろう。

しかし、人間は多くの場合、学校の教科に関わらず、テストの有無にかかわらず、様々な場面で「学ぶ」生き物だ。

例えば、食事の仕方、自転車の乗り方、買い物の仕方などなど生活に密着したこれらのことも生まれながらに身に付けている人はいない。

生れてからずっと人は学び続けているといえる。

そうした生きるために必要な学習ではなくても、例えば、好きな本、アニメ、マンガ、音楽、スポーツ、などの分野においても、たくさんの知識を持っていたり、技術を持っていたりする人がいるが、それだって学習によって手に入れた知識なり技術なのである。

そのような知識を手に入れる際に、多くの人は「勉強している」という実感もないままに気付いたら様々なことを知っているという状態になることも少なくない。

むしろ、気づけばそのことに夢中になって取り組み、時間も忘れ、誰かに止められる前やり続けてしまうなんてことも珍しくはない。

だから、その意味では人は本来的に学ぶ生き物であり、かつ、学ぶことが好きなのである。

しかし、学校の教科の学習になると話は異なる。多くの生徒は、勉強が好きではない、意欲的になれない、というリアクションをする。近年の調査(例えば、全国学力・学習状況調査やOECD-PISAなど)によってもそれは明らかにされています。

では、なぜ子ども達は勉強が好きではない、意欲的に取り組めないのか?

様々なな要因が考えられるが、こんな見方ができる。

①「勉強の必要性がわかっていない」あるいは「役に立つと思っていない」

②「おもしろくない」

例えば、現実的に考えると、多くの児童や生徒、学生が勉強をする時の動機は何かといえば、その多くが学校のテストや成績などのためである。では、なぜそうしたテストや成績に敏感になるのかといえば、それは、入試(受験)があるからだ。

その意味で、テストや入試(受験)に関連する学習には、一定の必要性を感じているといえる。ただし、それが「役に立つ」とか、「おもしろい」という風には感じていない。

その一つの原因は、端的に言えば、そういう教育を受けていないからである。

もちろん学校の授業や先生の話、教科の枠組みのある学習であったとしても、あの話はおもしろかった、と思い出せるものをあるだろう。しかし、多くの場合は、そうした知的好奇心を刺激されるような学びではなく、「ここテストに出すから良く覚えておくように」「ここ入試に出るぞ」などという指導のもと学習を進められているのが現状だ。

だから、必要性を感じてやってはいるけど、「何の役に立つのか分からない」「おもしろくない」、「つらい」「苦しい」「できれば逃げたい」という思いを抱えて学習をしている人が多いのだ。

その中でもテストや成績がとれる子どももいる。

そういう人たちは、きっと今の学習がどんな意味を持っているのか、自分なりの価値づけが出来ているのかもしれない。あるいは、そういうことは度外視にして、大人に口うるさく「勉強しろ」と言われたくないから、テストで結果を出しているということなのかもしれない。

いずれにしろ、ネガティブな感情を持って行動しても、良い結果が出てくるはずがない。そもそも「必要性はある」だけど「役に立つと思っていない」し、「おもしろい」ものでもないのであれば、脳がそれを積極的に学習しようなどとはならない。これはある意味で当然の結果だ。

それでもなおテストや入試があるから、何とか踏みとどまって勉強をする。おそらく内実は勉強時間を設けてはいるが、ほとんど身が入っていないか、やっている風を装っているだけの場合が多いだろう。

必要に迫られて一応勉強はしているのに、そもそも何かを習得しようという意識がないまま時間と作業だけをくり返し、だから結果も出ず、結果が出ないからさらに「おもしろい」なんて思うことはない・・・でも、続けざるを得ない・・・・・・まさに負の連鎖である。

さらに、悲劇的なのは、たとえ受験で偏差値ヒエラルキーの頂点にたどり着いても、そこにはたいして利益がないというのが現実なのだ。

そんなに苦しんで、貴重な時間を費やしてきたのにも関わらず、大学に入っても、それだけで人生がどうこうなる世の中ではなくなった。

 ※その点についての詳細はTOPページをご覧ください。

   【TOPページ】偏差値が高いだけの受験学力バカにならない学習方法 

そうであれば、先のニートの例は、もしかしたら、単にその負の連鎖を断ち切ろうとした現れだと考えることができるかもしれない。

もちろん「だからみなさんニートになろう」なんて言うつもりはまったくない。むしろ逆だ。だったら開き直って楽しもう!と言いたい。受験勉強はたしかに役立つ感が感じにくい。だけど、受験勉強をしていく過程で、具体的な教科の内容に関する知識など以上に大切なことが学べるのだ。まずはそのことに気付いて見てほしい。

受験で必要な知識はもしかした役に立たないものかもしれない。しかし、一見役に立たないかもしれないけど、将来を切り拓いたり、自分の理想を追いもとめる上では、そうした知識も必要になってくる。社会に出た多くの人が、何かキャリアアップなどを望んだ時、勉強をすることはめずらしくない。あるいは、社会に出た人が、「あの時もっと勉強しておけば良かった」と発言するのも度々耳にする。

「必要だけど価値が分からない知識」これをどうやって習得するのか、それ点においては受験勉強を通した学びがそのまま役に立つのだ。

受験勉強を超える学習をせよ!脱受験勉強ができなければ未来はない!

だから、あえて言う。

受験などに必要な「テストのための学習」は必要悪だとしても、それによって「学ぶ」という貴い行いが汚されてはいけない。

だから、受験勉強を利用して受験勉強を超える学習を進めよう。

このサイトでは、主に、「教科横断的な学習」と「作文・小論文による思考力向上学習」という大きく2つの点であるべき学習の姿を提案していく。

具体的な方法や、注意点などは各々のページをお読み頂きたい。

これを読んでいる方は、何かの縁でこうしてこのページにたどり着いたのです。

すでに「テストのための学習」に何となく違和感や不健全さを感じている方もいることでしょう。

であれば、これをきっかけに、今目の前にある「勉強」特に「テストのための学習」を今一度見直してみてほしいのです。

その行為自体が、すでに、これからの時代を生きるための力を養うことにつながります。

与えられた情報を鵜呑みにせず、吟味してみる」ということです。

それが、子どもたちが5年後、10年後、「こんなはずじゃなかった」とならないための力を身に付けることにつながるのです。

真剣に今後のわが子の学習を、将来を想うのであれば、ぜひ真剣に考えてみて下さい。

今のままの学習を進め、単なる偏差値が高いだけの、受験学力が高いだけの、本当に使える知識のない人に育てるのか、これからの時代でも活躍できる確かな力を培った後に社会へと送り出してあげるのか。

それが出来るのは彼、彼女の近くにいる大人だけです。

特に、もしあなたが小中高生の保護者であるならば、親であるあなたの考えが、この先の子どもの未来を良くも悪くもするということに改めて目を向けてほしいのです。

「教育のことはよく分からないから学校の先生にお任せしています」

もちろん専門家に頼るところは頼るべきです。

具体的な教科の学習内容について教えることもアドバイスもできないから、その点を先生に任せるというのは、理に適ったことです。しかし、それはあくまで教科の学習内容(知識面や技術面)についての話です。

わが子にどうなってほしいか、そのために何をさせるべきか、自分は何ができるのか。

その考えを放棄して、学校の先生に丸投げというのは、先生にとっても、子どもにとっても不幸しかありません。

ちょっと考えてみてほしいという程度のことです。

何のために勉強をするのか、させるのか、どんな将来を理想として、そのためにはどんな歩みをすれば良いのか。

そんな当たり前のことを改めて考えてみると、今やっていることが本当の正しいかどうかが見えてくると思います。

その上で、今やっていることが必要で、かつ、役に立つことなのであれば、あとは本人が「おもしろい」と感じられるような学習環境を整えてあげれば良いのです。

そうではないというのであれば、「何となくみんなやっているから」という実は不確かな、曖昧な理由で、今やっている学習を無理強いしないでほしいのです。

とはいえ、必ずしもかつての自分の経験が有効なわけではありませんから、どうしたらいいのか分からないという方もいらっしゃるでしょう。

日々真剣に考えている方の中にも、様々な情報があるかたこそ逆に不安になるという方も多いことでしょう。

ならば、ぜひ「この人は」という指導者に相談してください。

それがもちろん僕でも構いません。

僕には、これまでの講師としての経験、さらに、教育や国語教育についての研究によって得た知見があります。それらがお役に立つのであれば、誰かのために使いたい、僕はそう思う人間です。

だからこそこうして講師を続けています。それがなければ、どうして自分も嫌いだった「テストや入試のための学習」に関わることができるでしょう。学校ではなく、テストや入試に直接関われる場だからこそ、直接届けられるメッセージがある、そう思ってやってきました。その営みの先に、明るい社会が世界が創造され、素敵な未来をともに生きていければ、これ以上の喜びはありません。

ぜひ、もう使い古された偏差値や受験競争などのロジックで、大切な学びをねじまげないでください。教育界のカビの生えた、従来の変な情報に踊らされ、大切な子どもの未来をねじまげないでください。

そのために必要なことであれば、お役に立てることであれば、僕は全力でお引き受けします。

だって、それが自分の明るい未来の社会を築くことに他ならないから。

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